四国霊場第86番札所 志度寺
お知らせ
マイクロバス等の大型車両で志度寺へお越しの方は、志度寺西側の市道大橋寺町線の道路幅員が狭小であることから、JR志度駅前交差点および志度高校前交差点を北に向かい、県道135号大串・志度線をご利用するようお願いします。
・四国霊場第八十六番札所(志度1102)
・JR、琴電志度駅から徒歩10分。
・駐車場20台完備。
推古天皇のころの創建で、補陀落山と号する、四国霊場八十六番の名刹である。
本尊は十一面観音菩薩で、脇土不動明王毘沙門天と、絹本着色志度寺縁起図絵六幅、志度寺縁起等付属文化文書九巻はいずれも国指定の重要文化財である。
天正十一年の春、志度寺に攻めこんだ長宗我部元親を走らせた山門の仁王像は鎌倉時代運慶の作で、香川県指定の重要文化財である。
三万三千平方メートルの境内には、殉愛海女の墓、曲水式庭園と無染庭、田宮坊太郎ゆかりお辻の井戸、三尊仏、芳室文塚と松風塚、日本で十八番目に建立せられた、五層総ひのき造りの5重の塔などがあり、歴史を刻む昔を語りかける。
海女の玉取り伝説
志度寺境内には、海女の墓と伝えられる苔むした五輪塔がウバメガシに覆われひっそりたたずんでいます。
その昔、唐に嫁いだ藤原鎌足の息女白光は亡き父の供養物として数々の宝物を兄の藤原不比等に届けようとしました。ところが、宝物を積んだ船が志度の浦にさしかかったとたん嵐が起こり、中国に二つとなき宝物「面向不背の玉」が龍神に奪われてしまったのです。
不比等はこの玉を取り戻そうと、身分を隠して志度の浦へやってきました。ここで漁師の娘であった海女と恋に落ちたのです。”房前”という男の子も授かり親子三人で幸せに暮らしていました。しかし、不比等が志度の浦に来た理由を知った海女は、愛する夫のために玉を取り戻そうと死を覚悟で竜宮へ潜っていったのです。
海上で待つことしばし。海女の合図で命綱をたぐった不比等の前に現れたのは、見るも無惨な海女の姿でした。海女は間もなく、不比等に抱かれたまま果ててしまいました。しかし、玉は海女の命に代えて縦横に切った乳房の中に隠されていたのです。
その後、玉は奈良の興福寺に納められました。藤原家を継ぎ大臣にまで出世した房前は、やがて志度寺を訪れ千基の石塔を建立、小堂を大きな堂塔に立て替え、さらに法華八識を惨めて、亡き母の菩提を弔ったということです。
この「玉取り」にちなんで志度の浦は玉浦と呼ばれています。また海女が玉を奪い返したという真珠島(物語中の竜宮)、不比等が住んだ淡海屋敷、玉を洗ったといわれる淡海堀やそれを祀ったお釈迦台、海女の腰掛け岩など、物語にまつわる遺跡が数多く残されています。海女の墓には今も時折、花を生ける人の姿も見られ、切ない歴史哀話は途かな時を越え志度の人々の心に生き続けています。この伝説をもとにした有名な謡曲「海女(の玉取り)」もあるのです。
曲水式庭園と無染庭
水墨で描いた山水画をほうふつとさせる景観で知られる曲水式庭園は、室町時代に讃岐の守護であった細川氏の寄進による美しい庭で、滋賀の秀隣寺、三重の北畠神社と並んで、わが国には三つしかない珍しい庭園。この庭園に続く無染庭は、海女の玉取り伝説の情景を七個の石と苔むした岩、そして庭一面に敷き詰めた白砂で表現している。