平賀源内記念館
(JR志度駅から徒歩5分
琴電志度駅から徒歩2分)
江戸時代の奇才・平賀源内は、享保13年(1728)高松藩の御蔵番の子として現在のさぬき市志度(旧志度町)で生まれた。発明の才に富み、洒脱の気風があった源内は、エレキテル(日本で初めて復元された電気機器)の復元、燃えない布・火浣布、量程器(万歩計)、磁針器等多くの発明をした。その他にも、本草学者として薬品会(博覧会)を開催したり、人気作家として戯作浄瑠璃作品を発表したり、西洋画や源内焼を広めたりと天才的な業績を残している。国益増進を唱えながら、封建社会の壁に遮られ、世に迎えられず、安永8年(1779)12月18日、江戸の獄中で、辞世の句ともいえる「乾坤の手をちぢめたる氷かな」の一句を残し、駆け抜けた52年の生涯を閉じた。
その源内が残した多くの発明品や著作品は、平成21年3月に移転・新装オープンした「平賀源内記念館」に陳列されている。館内は、全国各地で活躍した源内の業績を場所ごとにたどることができ、そのほか、映像で紹介する「源内奇才劇場」やエレキテルの体験ができるコーナーなどもある。
また、記念館から約550メートル西には、源内の旧邸が残されており、その南側には、源内ゆかりの薬草園がある。
平賀源内旧邸
(JR・琴電志度駅から徒歩10分)
平賀源内先生銅像
旧邸内ホルトの木のそばにある銅像は、源内羽織を着用し、エレキテルを足元に置き、握棒を持った堂々たる風格である。台石正面に、親友杉田玄白の「あゝ非常の人。非常の事を好み。行いこれ非常。何ぞ非常の死なる」という言葉が刻まれている。
平賀源内の墓